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ブルシット・ジョブと現代思想 (THINKING「O」018号) - SharePick
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ブルシット・ジョブと現代思想 (THINKING「O」018号)
ブルシット・ジョブと現代思想 (THINKING「O」018号)
大澤真幸
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正木
正木伸城
@nobushiromasaki
3か月前
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目から鱗。資本主義は、仕事を「クソどうでもいいもの」にさせてしまう性質をそもそも持っている。以下の引用文は、特に衝撃的。絶対に読んでほしい一文。→ 「資本主義化の社会変動の中で、たまたまいくつかの部分に不具合や不合理があってBSJ(ブルシット・ジョブ〈クソどうでもいい仕事〉)が発生しているだけではない。組織の中に無能な上司がいるとか、昔作ったルールが現状と齟齬をきたしているとか、複雑な因果関係を読み切れずに実行してしまった制度改革やルール変更がかえって無駄な仕事をたくさん作ってしまったとか、そういったことだけでBSJが増殖しているわけではないのだ。 そうではなく、資本主義化というものが、ただそれだけで、その内部の仕事の意味を削ぎ落し、仕事を全体としてブルシット化する作用をもつのである。 さらに付け加えておけば、仕事の時間指向もまた、同じ社会変動の中で生まれてくる。すべての物が商品になるということは、物が一律に、貨幣(という一般的等価形態)の量で表現されるような一元的な価値をもつということである。その価値は、その物=商品を存在させるのに投入された、抽象的労働(=具体的労働)の量を表している。その量は、時間で測られる。抽象的時間の観念は、抽象的労働の観念と表裏一体の関係にある。 したがって、結論的に言えば、『商品の物神性』の世界の成立と、抽象的労働=抽象的時間の観念の成立とは、同じことの二側面だと言ってもよい」(102頁) では、BSJとは何なのか? 「BSJとは、物のうちに本源的に刻まれている問いが、まったく読めず、聞こえないのに、何らかの社会的な力関係の中で強いられている仕事である。上司や管理者の命令はよく聞こえる。 しかし、自分が仕事においてかかわろうとしている対象に即した問いは聞こえてこない。とすると、それは、世界から求められてはいない仕事かもしれない。無意味で、不必要な、それどころか、もしかすると有害でさえあるかもしれない。 こんな感覚を払拭することはできなくなる。とするならば、それはきっとBSJである」(133頁) 「ここで、かなり広がっている誤解を排除しておかなくてはならない。 BSJは、低賃金で、誰もがあまり就きたくないような3Kの仕事──きつく、汚く、危険な仕事──という意味ではない。そのような仕事に従事しているものは、その仕事をやりたがっているかどうかは別として、また十分な報酬を得てはいないという不満を持っていた場合でも、とにかく、大抵、自分たちがやっていることがこの世界に必要であることを、自分たちが仕事をしなかったら非常に困る人がたくさんいることをよく自覚している。 要するに、BSJは、労働条件が劣悪であるかどうか、ということとは全く独立の概念である。グレーバーは、著書の中では、劣悪な労働条件が課される仕事のことを、BSJからは区別して、『シット・ジョブ(SJ)』と呼んでいる。繰り返せば、BSJは、労働条件の点では比較的良いものの中に多い」 『ブルシット・ジョブと現代思想』 著者:大澤真幸、千葉雅也 発行:左右社@sayusha
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